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【プロフィール】
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Diet&Co. AKIRA
WEBデザイン会社代表取締役
アウトドアインストラクター・体幹トレーナー
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【資格】
NEWTON公認ランニングインストラクター
体幹トレーナー(本橋恵美体幹トレーニング養成講座32h修了)
OFA認定ウォーク&ランインストラクター
JOPH認定ダイエットアドバイザー

>>「ヤセレポ」にて記事執筆中です!!

同志社大学文学部英文科卒業。

卒業後、ミュージシャン、写真家を夢見て30歳まで右往左往。転職する事計5回。非常勤保育士の職を辞めたあと、30歳で起業。

平日はWEB制作会社の社長として仕事をしながら、週末はロードバイク、ランニング、トレッキングのインストラクーとして活躍。大学時代の山岳知識を活かし滋賀や京都近郊の山々の登山や、大原、嵐山、鞍馬などのショートトリップファンライド(自転車)を担当。現在は定期的に月2回のサイクルライドレッスン、ランニングレッスンを主に初心者向けに担当。
不定期で体幹トレーニングレッスンや講演、イベントでの単発レッスンなどを行う。

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【大会経歴】
2012年5月 石垣島トライアスロン完走
2012年8月 珠洲トライアスロン完走
2013年5月 伊勢志摩トライアスロン完走
2013年7月 ひわさうみがめトライアスロン完走
2015年4月   伊勢志摩トライアスロンリレー参加(バイクパート)
2015年2月   京都マラソン完走(初フルマラソン)
2015年9月 丹後半島100kmウルトラマラソン完走

【インストラクターのお仕事の一例】

ダイエット指導、パーソナルレッスン(ランニング、ロードバイク、体幹トレーニング)、インストラクター派遣、講演などのお問い合わせは
office@genki-desu.com
までお気軽にお問い合わせ下さい。

「ココロカラダ、デザイニング」をコンセプトに屋外での運動を通して、ココロもカラダも元気になる「GENKI.」事業を2013年よりスタート。

b01 京都観光ライドイベント
元MTB日本チャンピオンのVincent Flanaganさんと京都ポタリングイベントを開催

b03パーソナルレッスン(トレッキング)
この日は初心者のお二人と、鞍馬山から貴船へ。

img_5004アウトドアでの体幹トレーニング
この日は「初めての体幹トレーニング&ランニング」というレッスンでした。

fullsizerender3パーソナルトレーニング(ロードバイク)
大原へ観光がてらのライドでした。

お寺での体幹トレーニング
月2回開催していました。

imageローターアクトクラブ(ロータリクラブの子クラブ)での講演
「初めての体幹トレーニング」という題目でした。
などなど、いろんなレッスン、イベントを企画、開催しています。

%e5%90%8d%e7%a7%b0%e6%9c%aa%e8%a8%ad%e5%ae%9a-1 2015年丹後半島ウルトラマラソン100km完走

a052014年ひわさウミガメトライアスロン完走

ここから下はごく私的なプロフィールです。
ご興味のある方はどうぞご一読ください。

●幼少期
1歳にも満たない頃にヘルニアで入院、アレルギーや高熱などなど、、虚弱体質で両親をヒヤヒヤさせていた。
小さい頃はかなり愛くるしい顔をしていて、よく女の子に間違えられた。
(今となってはその面影は跡形もなく消え、「マフィアみたい」と言われるまでに悪い意味で男らしく成長する)

 

●小学生
兎にも角にもワンパク、問題を起こしてばかりいた記憶しかない。
その中でも思い出深いのは、修学旅行で夜中に女子の部屋に行き、廊下で宿の廊下で正座させられたこと。
学校の消火器の非常ボタンをふざけて押して、危うく消防車が出動しそうになり、校長室に呼ばれて叱られたこと。
遠足先で蜂の巣にフリスビーを投げ込んで、怒った蜂に刺されて、みんなの前でお尻を丸出しにされてアンモニアを塗られたこと。
お城での写生大会へ行ったのに、お城そっちのけで大好きだったパトカーを描いて怒られたこと。
小3ぐらいから母親が料理をしている横でいつもおしゃべりをしながら、料理の手伝いをしていたらしい。
そうして自然と料理を覚え、両親の帰りが遅い時に簡単な料理を作って待っていると、両親が喜んでくれたことに味をしめた。
わんぱくで怒られてばかりだった僕は「料理を作れば褒めてもらえる」!と、子ども故の浅はかで姑息で腹黒い思いを抱くと同時に、「美味しい料理を作ってあげるとこんなに人は喜んでくれる」という、素敵な事に気付く。
小学4年生、高学年の先輩から「バレーボールをすると女子にモテるぞ」と言われ、バレーボール部に入ることを即断し、4年生からソフトボールと並行して、バレーボールを初める。
6年生、小学生バレーボール大会ライオンカップ全国大会出場。
その頃、校内マラソン大会では毎年1位。
(その後、中学1年生の長距離走で10位以下になり、世界は広いことを思い知らされる)
その頃のあだ名は「白豚」。
色白でぽっちゃりしていたからに他ならないが、今考えればなんと辛辣で短絡的かつ当を得たあだ名だ。
小さいながらも結構傷ついた記憶はある。
ただ、わんぱくかつ幼き故に、女子だろうと誰彼構わずそれ以上の罵倒で返していた。
●中学生
モテたいがためにヤンキー仲間と連むようになる。
自身はただ格好をつけたかっただけであってヤンキーになったつもりはなかったし、タバコだって吸ってなかったが、ヤンキー達と連んでいると「あいつはヤンキーだ」というレッテルを、アロンアルファ並みの粘着力でがっちりと背中に貼られしまい、悪いことは何もしていないのに、母親は何度も学校に呼ばれていたらしい。
そんなこととはつゆ知らず、「モテるにはやっぱりスポーツで汗!青春には汗!」が欠かせない、と考え1年生から弱小バレーボール部に入部。数少ない経験者だったので、1年生からレギュラー入り。2年生からキャプテンに。3年生の時には弱小バレー部を初の県大会初戦勝利に導き、校内新聞の「今年の10大ニュース」に掲載される。
ヤンキー仲間と連んではいたものの、意外と真面目で、両親の帰りが遅い時などは冷蔵庫にあるものでご飯を作って待っていたり、朝のお弁当作りの手伝いをしたりしていた。
(我ながら、今よりずっと優しく素直で愛らしい好青年だった。)
バレー部を引退し勉強に没頭していたためか、夏休み前に激太り。
体育の先生から「お前デブやないか!そんなんあかん!」と叱咤され(この頃は愛のある先生が多かった)、夏休みに毎夜5kmほどのランニングをして、1か月半で10kg以上の減量に成功。思えばこれが人生初ダイエット。
●高校生
高校進学、公立の進学校に落ち、泣く泣く私立の仏教高校へ。
仏を教わる学校ゆえ強制的に坊主頭にしなくてはいけなかったため意気消沈、坊主頭が恥ずかし過ぎて外に出るのも嫌で、家にこもって映画ばかりを見るようになる。受験に失敗して卑屈にもなっていた。
2年生の冬に大失恋をして、勉強も手につかず、浪人決定(恋のせいにするあたりがお子ちゃま)。

18で一浪、19で京都の大学に進学。大学時代は厨房や飲食店でのバイトと山岳スキー部で登山とスキーに明け暮れる。

毎年スキーシーズンになると、白馬のスキー場にある民宿で2か月の住み込みバイト。
住み込み先の民宿の女将さんが料理嫌いで、「あなた料理得意だから」と、2年目から民宿でお客様に提供する日々のメニューを決めたり買い出しに行ったり調理したりを任されるようになり、女将さんから冗談半分で「料理長」と呼ばれるようになる。
メインのスキーの練習よりも、料理を考えたり作る方が楽しくなる。
翌年、「去年ご飯が美味しかったからまた今年も来たよ」とお客さんに言ってもらい絶頂調子に乗る。
大学3回生、老舗フレンチの厨房で雑用バイトを始める。
洗い場メインのバイト。しかし、初日に「料理も覚えたい」と生意気な事を宣いシェフに舌打ちの洗礼を浴びせられ、その後しばらく絶賛嫌われる。(時々シェフには蹴られた。)
卒業後、イベント会社に就職するも直前の沖縄一人放浪で培ってしまったモラトリアム思考、嫌なことから逃げる悪い癖から、1か月足らずで退社。その後、またそのフレンチで見習いから働かせてもらうことに。
社長から「お前そろそろちゃんとここに就職するか」と言われ、とてつもなく悩んだものの、何を思ったか普通に会社に就職することを選ぶ。
その後、何度もの転職を繰り返しながら、その頃は音楽に没頭していて、バンド活動をしながらプロミュージシャンを夢見ていた。
転職生活の間に、オーガニックカフェでのキッチンでのバイト生活。日替わりランチとディナーを考えるのが楽しくて仕方なかった。
その後、20代後半に非常勤保育士を2年間した後、フリーターに。
30歳でフリーター。
「30歳で」!!!
お金がなさすぎて、四畳半一間ガスなし風呂トイレ共同(しかも風呂はほぼ外、給湯器は壊れていた)家賃12000円のアパートに引っ越し。
30歳にして、ガスなし生活。
情けない。恥ずかしい。辛い。バカ。
と自責の念に苛まれながらも、「これ以上の底はない!」と思考を切り替え、「風呂付きの家に引っ越す!」というとてつもなく低い目標を胸に、結構楽しみながら1年程フリーター生活。
その間に趣味だったホームページ作りで、お金がもらえるようになる。
ホームページ制作が事業として成り立ってきたため、両親の助けもあり、WEB制作会社として法人化。
2016年現在、法人化11周年目を迎える。
2015年晩秋、睡眠時無呼吸症候群が発覚し、2016年4月からCPAPというマスク治療器をつけて寝るようになる。

まるでダースベーダのようでユーモラスではあるが、やはり面倒くさいので、心身アプローチで治せないかを日々模索中。